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吃音を楽にする|論理療法に学ぶ(ラショナルビリーフ)

論理療法

論理療法を吃音の改善法として使うことができます。

吃音をお持ちの方はその程度がどうであれ、様々なとらえ方をします。「どもりだと人生これからお先真っ暗だ」と思う人もいれば、「どもりだからといって将来が不幸というわけではない」と受け止める人もおられます。人間の悩みというものは、出来事そのものに起因するのではなく、その出来事をどのように受け取るかにかかっているといえます。要するに考え方次第で悩みは深くもなり、軽くもなるわけです。
自分の持っている考えが、①事実に基づいているか、②そう考えなくてもいいのに無理やり考えているのではないか、③人生を幸福にする考えか、に注意して検討してみることはとてもためになります。カウンセリングで「論理療法」という分野がありますが、そこではイラショナルビリーフ(非論理的な考え方)をラショナルビリーフ(論理的考え方)に変換していき、より自由な生き方を探っていきます。

イラショナルビリーフ(非論理的考え方)
その考えを持つことによって、幸福にならない考え方。否定的、非建設的な考え方。

ラショナルビリーフ(論理的考え方)
落ち込まないで済む、悩まないで済む考え方。現実的、論理的考え方。
事実に基づき、前向き肯定的で、建設的な考え方。

それでは具体例を7つ挙げてみましょう。


例1. 人前で話すときは絶対にどもらないで話すべきである。

私達は一般に物事の側面を見てこうだと決めつけてしまうことがよくあります。その理由として、生れてから今日までの間に他者に暗示をかけられてしまったことがいえます。ここでは「人前でどもることは恥ずかしい、みっともない、劣っている、他人から今までどもらずに話すべきだといわれた」などです。また、「~すべきである」と、こうあってほしいという願望とを混同しています。本当はこの方は「どもらないで話したい」という願望を表したいのでしょうが、「どもらないで話すべき」といっています。「絶対にどもらないで話すべき」という基準を心の内に設けると、人前でどもってしまう現実に深い不満が生じ、失望します。これらの受け止め方はイラショナル(非論理的)ですのでラショナル(論理的)に入れ替えます。
「人前で話すときはどもらないで話すにこしたことはない」となるでしょう。人前でどもってもともと、うまく話すことができればそれで良しとなり、話し方による落ち込みは少なくなります。


例2. 話し方はいつも正確・明瞭でなければならない。

これは話し方一般に関してのビリーフ(考え方)です。ラジオDJで活躍なさった若山弦蔵さんは「私は長年NG(ミス)を出したことがない」とおっしゃっていました。これは話すことを職業としておられる人の高いプロ意識の表明ですが、ことばの詰まる方が正確で明瞭な話し方でなければならないと高い基準を持つと、話すことに神経質になってしまいます。話すことを怖れる方の中で、このような高い基準を設けているために、自分自身を窮屈にしてしまっていることがあります。
「話し方は正確・明瞭にこしたことはない」に入れ替えて幅をもたせると楽になります。


例3. 吃音を治さないと就職や結婚ができないので、私の人生このままでは希望がもてない。

吃音を持っていることイコール就職や結婚ができないといえるでしょうか?吃音があっても仕事をしておられる方々がおられますし、結婚してご家庭を築いている方々もおられます。

「吃音があっても就職や結婚ができないわけではない。堂々道は拓けるはずだ。」がラショナルビリーフ(論理的考え方)だと思います。


例4. 吃音は治るはずだし、絶対に治すべきだ。

このビリーフには2つの問題点があります。
「吃音は治るはず」の考えですが、何を尺度として「治る」とするかが問われます。電話、業務会話ができることが問題とないとするのか、大勢の人前でのスピーチを想定しているのか、少し吃音が残っても本人が気にならないようであれば治っているとも受け止められますし・・・多分ここではどのような場合でも全くことばが引っかからなくなるということだと思いますが・・・。すべての吃音者が改善に向けての努力をすると全くどもらなくなるという一般化は非現実的です。一方、どなたでも改善の道があることは事実ですし、更に進んで(今の私のように)完治者がいることも事実です。どのレベルまで改善が進むかはひとりひとりの課題です。

また「絶対に治すべき」ですが、吃音があっては断じてならないというように受け止められます。そうすると吃音を持つ限りその人は苦しみ続けることになります。
吃音にしても、ある方は多少どもっても気にせず人と接しておられますし、ある方は大変気にして何とかなくそうと必死になります。なくそうとすること自体は決して悪いことではありませんが、ことばが詰まるという現実を受け入れないままだと意識の悪循環にはまってしまい改善のステップからそれてしまいます。「ことばが詰まることをしっかり受け止め、実生活では神経質にならない」という世界が良いようです。
「吃音は改善できる可能性が十分あるので、改善に向けての努力をl払っていく価値がある」と完全に入れ替えてみました。


例5. 吃音は治らないので、治る努力を払うのは無意味である。

これは先の例4.と全く反対のビリーフです。ここには事実に基づかない2つのイラショナルビリーフがあります。
「治る」を完治という意味でとりますと、吃音の完治の実例があれば事実に反することになります。実際に私を含めて完治者がいますので「吃音は治らない」はイラショナル(非論理的)となります。ただ治らないと断定する方がおられるのは、完治者自身がどのような体験過程を経て完治に至っているのかが正確に思い起こせないことと、たとえ完治までの過程をまとめたとしても他人は同じ経験を共有しにくいので画一的な治療対策が立たないことに難しさがあることによるのでしょう。
故田中角栄元首相は浪花節で吃音を克服したということですが、私に好きでもない浪花節で改善を試みるようにと言われていたら、果たしてどこまで効果がでていたかはなはだ疑問です。
また「治る努力を払うのは無意味である」は、治るか治らないかの賭けをしているみたいで、何か人生を白か黒かの2色で色分けするような感じです。改善の勘所は「焦らず、もがかず、コツコツと」ですので、吃音であることを受け止め、いかにうまくつき合っていくかの理解を深めつつ、改善に向けての正しい努力を払っていきたいものです。
とするとラショナルビリーフは、例4と同じ、「吃音は改善できる可能性が十分あるので、改善に向けての努力を払っていくことは意味がある」となります。


  

例6. 話し方が下手だと人生すべてに損をする。

確かに話し方が下手なために損をする時もあるでしょう。これどことばは拙くても、その人の人格、品性は相手に伝わるものです。饒舌には誠実さは見られません。
「話し方が下手だといって、人生すべてに損をするわけではない。」に入れ替えられます。


例7. 吃音者は人より劣ってみられてしまう。

これはこのように思う方のセルフイメージの問題かと思います。劣ってみてしまうのは誰でしょうか?他人ではなく自分自身ですね。自分が劣っていると思っているので「劣って見られてしまう」とあたかも事実のように受け取ってしまうのです。吃音者には政治、芸術、文学、教育、その他あらゆる分野で立派な働きをしています。
かつて英国のウィンストン・チャーチルの生家を訪ねたことがありましたが、そこでは訪問客のために彼の録音演説を流していました。彼が吃音であったとは思えない語り口でした。だとえ彼が演説でどもったとしても彼の気迫はドイツの攻撃に耐えているイギリス国民の心を奮い立たせたでしょう。
「吃音をもっているからといって、人より劣っているわけではない。」に入れ替えましょう。


イラショナルビリーフでよく出てくる言葉

私達は絶えず心の中でもうひとりの自分に話かけています。ややもすると、イラショナルビリーフ(非論理的考え)が知らず知らず心を占めてしまいますので、自問自答してラショナルビリーフ(論理的考え)を自分に語りかけ続けていきましょう。その結果として感情、行動面に前向きなエネルギーが出てくることを体感してください。

  1. べき思考:~すべきである(例:上手に話すべきである)、~でなければならない(例:話すことばはいつも正確・明瞭でなければならない)
    これらを、「~にこしたことはない」に入れ替える。
  2. どうせ思考:~である。~に決まっている。(一般化のしすぎ、決めつけ)
    これらを、「~の面もある」に入れ替える。
  3. ダメ思考:無価値
    「人間として価値がある」に入れ替える。
  4. それゆえ(だから)
    「だからといって」に入れ替える。(例:吃音だからといって、人生すべてに損をするわけではない)
  5. ~がなければやっていけない。
    ただできないと思っているだけなので、「やっていける」に入れ替える。
    (例:話が上手でなくてもやっていける。)
  6. 世も末、絶望、お手上げ、何もできない、だれも・・・・・
    「ただ不都合、不愉快、嫌なだけ」なので肯定語に入れ替える。