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吃音克服 体験談(50歳以上)(P.3) お話し人生を楽しむ、他

 言葉は夢、言葉は希望、言葉は力。吃音を克服していく人生。いよいよ楽しくなってきそうだ。

Sさん(滋賀県在住 67歳 会社嘱託 男性)

“世の中で一つだけ私の思いをかなえてくれる神様がいたら、ただ一つだけお願いいたします。私の思いを、たくさんの人前で思い通りに話したい。そしていい話を聴いたと言われて心からの拍手をいっぱいあびたい。”

私は昭和14年、1620gで生まれた。物心ついた時から吃音だったし、今思うとチヨット知恵も遅れていた。勉強も少し遅れた。中学校で国語の時間、何行かづつ「前の席から順に読んで」と先生の声。「また、来た」。もうこの時から胸がしめつけられる思いだ。順番がきた。そのころの教室はひとクラス52~53名。どうでもなれ、と読みはじめると先生が「S君ゆっくり読んだら大丈夫だから」と中途半端になぐさめてくれる。少し気にしていた後ろの女の子が「クスッ」と笑った。チヨット色気も出てきた私にとって血の気が引く思いで、恥かしく、みじめで、悲しかった。私は許せなかった。休み時間つい手を出してしまった。

夏休みに親戚のおじさんのすすめで吃音矯正教室へ通った。毎日、口の開き方の練習ばかりだったと思う。子供心に何か違うと思いやめた。勉強もテストもあまり良くない上にどもって話がまともに出来ないと本当にバカみたいに思われる。
中3になっていつの間にか心掛けることがあった。『人の3倍』『人より3倍』・・・、何をするにも人の3倍努力しないと遅れてついていけないと、いつの間にかこれらのことばが自分の座右の銘となっていた。勉強、運動、私はがんばった。小、中通して学校で弱気にならなかった。いじめる人がいれば、鼻血の出るまで戦った。高校は工業高校に入学した。母の親心から機械、電気系を学ばせれば人とあまり口をきかずにすむだろうと思ったらしい。
私は、電気通信科に入学した。男ばかりのせいか、見識のせいか、みんな私のどもりなどあまり気にもしていなかった。昭和33年、卒業した。

一応一流会社に入社した。そこは「生き馬の目を抜く」世界だった。もたもたしていると人に抜かれる、仕事を人にとられる、負けてたまるか、実績と成果の世界。「人の3倍、人より3倍」どもる分だけ実績を積もう。しかしどもることは大きなネックだった。
会議の席上や成果発表の時では、言葉の出だし、つなぎがつまった。電話ではこちらが名前がつまるので相手は必ず間をおいて2回○○ですがと、顔の見えない分たたみかけてくる。自分でも息を詰まらせ真赤になってゆくのがわかる。息を吸ってない。意識してわざと息を吸ってもダメ。いろいろ試してみるが悪循環と言うか、後悔を残しあちこちでボロがでる。

毎朝、課でラジオ体操の後、輪番で約80人の前で3分間スピーチをする。スピーチは出だしは魅力的に最後は行動を促すようにといわれているが、そんなことは私にはムリと思い、朝から暗くなることもあった。

QC事例発表会、安全大会、省エネ事例発表会では、私が省エネ事務局をしていたこともあって、工場内12工程12名の一人として発表することになった。課長が私の前に来て「S君どもる事は恥かしい事でも何でもない。イギリスのケンブリッジ大学にはどもる人が多いそうな・・・君も頭がいいと言うことだろう」
何か変なおもいで、嬉しくもあった。つづいて「あのなー、映画、TV俳優は台本を1つ1つ何回も何回も読んだ上でセリフとして話している、何回も読んで暗記しているからその人物になりきれる」成るほど、暗記しているから余裕が生まれる。余裕があるからその登場人物になりきれるのかと思った。私は、余裕をもって、ゆっくり声出しをしようと思った。
いよいよ本番が来た。講堂には250人ぐらいはいる。「ところで・・・」「さて・・・」セリフは暗記している。暗記しているから余裕と変な自信がある。自信たっぷりに大きな声で発表出来た。嬉しかった。何かしら今までにない自信を感じた。それで発表が良かったということで工場代表となってしまった。一難去って、また一難である。

今度は東京研究所の大講堂で、各研究所も全部参加で13工場、会長、社長・・・の前である。東京駅に着き山手線に乗換えた時、このまま逃げられるものなら逃げたいと、一瞬思った。しかしここで仮にやめたら自分はここまでの人間、これで終わりの人間、試すつもりでいいではないか、工場であんなにうまくいった、自信を持て!と自分に言いきかせた。
幸いにも、東京での発表もうまくいった。

その夜、社長主催のレセプションがあった。その席上、昔工場の上司、今は本部長がかけよってきて「S君、君が壇上にあがってきた時、大丈夫かとドキドキしたよ」と言って喜んでくれた。工場へ帰って例の課長と10人程で“ご苦労さん会”をしてくれた。何とも言えない充実感と満足感。そして心の底から喜びがわいてきた。涙が溢れてきた。トイレに行った。涙が止まらなかった。結婚し、子供もでき、仕事もそこそこうまくいけたが、人生の中でこんなに感激した事はなかった。

歳と共に、人をのみ込むことをおぼえ、今までの変な自信をからめていた。しかし、話をする大事な場面でつまってしまう。息を吸ってゆっくり話せ、やっぱり息を吸ってないと、自分でわかるのだがその場での調節がなかなか難しい。これ以上の自己流の改善はムリかとまあまああきらめていた。

そんなとき、なんの気なしに「吃音 克服」で検索してみた。「さわやかカウンセリング」のHPを見た時「あ!これかも!」と思った。即、電話をした。

  

レッスンを重ねるにつれ、手応えを感じ「これが本当の自信につながるかなー」と嬉しくてならない。何も無理をしなくてもよろしい、自分流でよろしい、言葉も声も自然でいいですよ・・・と先生はおっしゃる。川の流れのようにことばが流れる感覚が育っている感じだ。以前は自分の姓、出だしが苦しかったが、今は出だしですーと声がでる。どもってせき込んでいる時間より、ゆっくり息をすって、すーと声を出す方が楽で相手によく伝わり、時間も短い様に思う。

言葉は夢、言葉は希望、言葉は力。吃音を克服していく人生。いよいよ楽しくなってきそうだ。

※江田よりのコメント:
「さわやかカウンセリング」の受講生では67歳のSさんが最年長です。高度経済成長の昭和の時代を生き抜いてきた証が切々と綴られています。大講堂での発表の後、トイレでひとり嬉し涙するSさんの気持ちが伝わってきます。 
レッスンや私との会話では、吃音を全く感じさせず申し分なく滑らかにお話しなさいますが、Sさんとしては更に話し方に磨きをかけたいということでしょうか・・・Sさんのひたすら前向きな姿勢に私もたくさん学ばせていただいています。

 吃音克服の人生の宿題を仕上げる。

Mさん(香川県在住 50歳 自営業 男性)

私は、小学校、中学校、高校、大学と皆さんが体験して来た事と同じ様に、どもることに苦労してきました。しかし、就職と同時に人前で話す機会が一段と増え、悪循環を繰り返し、ますますどもりがひどくなり、最初の一言が言えなかったり、言えたとしても後が続かず、何を言っているのか分からない程でした。

そんな自分に嫌気がさしストレスも溜まるばかりで、どうしようもありませんでした。何とか心の整理をしようとしても出来ず、8年勤めた職場を退職し自営の道に入りました。
吃音に対するエネルギーを仕事に変えて頑張って来ましたが、やはり心の中では、どもる意識に束縛されていました。自分なりのイメージトレーニング、腹式呼吸など時々していましたが、全く効果がなく挫折する毎日でした。

50歳になった時、インターネットで吃音を検索している時、さわやかカウンセリングのHPを見て人生の宿題をする時が来たと思いました。カウンセリングを受けて3ヶ月がたちましたが、江田先生とのレッスンで暗闇から一筋の光が見えて来た様な気がします。

レッスンでは上手く言えても実践では上手くいかない時もまだありますが、レッスンの合間にする江田先生との雑談の中に、自分の進むべき道のヒントがありそうな気がしています。今は、このレッスンが、心の自信になっております。

吃音克服の人生の宿題を仕上げる為、江田先生の力を借りて努力したいと思っております。

※江田よりのコメント:
レッスンの中で、私自身の経験と改善のプロセスについて雑談をさせていただく時がありますが、それが何かのお役に立てればと思っています。Mさんのように50歳までの長きにわたる吃音経験をお持ちの方は、レッスンで語られることが偽りか真実かをしっかり見抜く目を経験上お持ちだと思います。

 いやな記憶が多く失ったものも多い人生でしたが、このまま終わるのもいやなので努力して克服したいと思っております。

Oさん(東京都在住 52歳 主婦)

私は今まで「話し方が変だ」とか色々言われ、その都度、言った人を恨んできました。今は月1回のペースで受けていますが、レッスンで「自分の話し方を客観的に見る」「音を伸ばす」ことを学び、初めて他人との違いに気がつきました。自分の話し方に関して触れたくなく避けてきたこともあり、全く気がつかなかったのです。

ことばが詰まるようになったのは多分、小学校3年生の頃です。はっきり自覚してきたのは5~6年生の頃です。将来、就職も結婚もできないのではないかと思い絶望的になったことを覚えております。性格も暗く消極的になり常に緊張していました。
中学・高校とどもる音意識は更に強くなりましたが、軽かったので家族は自然に直ったと思っておりましたが、私からまだ直っていないとは言えませんでした。

19歳の時、思い切って1週間だけ民間の吃音矯正所に行きました。小学生の時から電柱の広告を見ていて、あそこに行けば直ると思っていたのです。しかし全く無駄でした。もう直そうと思わなくなり、そのまま隠して生きていく以外にないと思いました。
その後、就職試験を受け、何とか採用され、何度も屈辱的な気分を味わいましたが、我慢して結婚退職までがんばりました。

最近、また仕事で電話をする機会が増えたので、今度こそ克服する最後のチャンスと思い、インターネットで調べ、「さわやかカウンセリング」にお世話になったのです。
テキストは実際によく使われる言葉が多く、何度も声に出して読んでいると身についてきます。繰り返すことが良い結果を生むような気がします。

今までの話し方を変えるのは非常に困難なことですが、あんなに怖かった電話もコツがわかったので以前ほど怖くなく、何事も常に練習だと思って臨んでいます。最近は自分が話している時も早口になる傾向がありますから、気がつき次第ゆっくりと伸ばして話すようにしております。

いやな記憶が多く、失ったものも多い人生でしたが、このまま終わるのもいやなので、努力して克服したいと思っております。

※江田よりのコメント:
人生50歳を過ぎると何かにつけて過去を振り返ることが多くありますが、私もOさんと同じように、小学生の頃「どもりは治る!」という電柱の貼紙広告を見て、「どもり」とは自分のことだと幼いなりにも察知していました。
過去を振り返ると吃音のいやな記憶が多く、失ったかのように思えることがあるかと思いますが、まだまだ先の長い人生。折り返し点に立った気持ちでこれからの人生、話すことを楽しんでください。