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吃音(どもり)についての Q&A(2)

ご質問

Q.10 吃音矯正器具を使うことについてどうお考えですか。

A. 私自身が使ったことがありませんので、何とも申し上げられません。ただ「これで治る」とか断言していると余りにも短絡的すぎるのではと思います。経済的に大きな犠牲を払って購入して、あとで後悔するようなことは避けたいです。教材販売についても同様です。



Q.11 練習量は多ければ多いほど改善効果があるのでしょうか。

A. 練習量が多ければ良いとは考えていません。
特定の音が誰もいないひとりだけの場合でもつまるという吃音(どもり)が重い段階では、練習量に応じて改善も伴うように見受けられます。

しかし、ちょっと電話でことばがひっかかる、場によって発語不安にかられるという軽度のレベルになりますと、微妙な心理的要因が大きいので、朗読など自分ひとりでの練習は毎日5分程度とることができれば良いのではないかと考えています。
皮肉にも、練習すればするほど、実際の場面との心理的ギャップが深くなり、上手くいかないという逆効果になってしまうことがあります。

Q.12 普段の会話ではほとんどどもらないのですが、学校で数学の答えを言う時とか、名前や短い英語の単語や挨拶などの短いことばの時、つかえてしまいます。どうしたらいいでしょうか。

A. 名前、数字、英語の短い単語、挨拶など、ことばが短ければ短いほど言いにくくなるものです。「おはようございます」でも、ごく親しい人ならいいのですが、ちょっと改まると、決まりきった表現なので緊張します。緊張する理由は、ことばの言い換えができないことと、話すタイミングの余裕が与えられないという心理的プレッシャーにあります。

ある単語がとても気になって、マイナスの自己暗示をかけているようなものです。すでに言う前に「いえるかな?またダメかな?」と心の中で問いかけていて、実際に言う時には、のど、舌や肩に力が入り、肺の下にある横隔膜がギューッとせり上がり、肩で息をしていると思います。
それでは、どうしたら楽に話せるようになるか?これこそ、吃音改善の命題です。楽に言うヒントとして

  1. 単語だけに気をとらわれないで、その単語を含むフレーズとしてのまとまり感覚で話す。(例えば、「田中サトシ」でしたら、「私は田中サトシと言います」などと、前後に言葉を添えて、流れの中で抑揚をつけると楽です。)
  2. どうしても「田中」だけでしたら、「たぁなぁか」というように、後ろの母音を強く出すようにすると、滑り出しがスムーズになります。
  3. 単語を意識しないようにワザと別のことを考えるか、何も考えないようにして、その場の瞬間にパッと話すようにする。

1と2は実践を通して習慣化していけるのではないでしょうか。舞台俳優がその役によって話し方をも変えていくように、今までの自分の話し方と違って話すという役者意識を持つのと同じ感覚です。

ただひとりだけの練習は限界がありますので、電話でのレッスンをさせていただいています。

Q.13 吃音は遺伝するものでしょうか。

遺伝

A. 残念ながら遺伝についての知識がないのでお答えできる立場にありません。専門の方のご意見にお委ねします。

吃音(どもり)が遺伝するかどうかを考えるよりも、吃音(どもり)に陥りやすい気質を親から受け継ぐことや、吃音になりやすい環境のもとでいかにその影響を受けるかという視点から考える方が現実的だと思います。
ちなみに私の場合は、親戚縁者を私の知る限り調べても吃音者はひとりもいません。私が吃音(どもり)を持つようになった要因と考えられるものを挙げますと・・・

こんなことですが、これらもあくまで私の吃音の“引き金“と考えられる事柄であって、直接の原因とはいえません

親が吃音の場合、子供がその呼吸のとり方や吃音の話し方を察知して影響を受けることがあります。
一方、どちらかの配偶者が吃音であるため、その影響を受けて夫または妻が吃音になったということは聞いたことがありません。それは結婚年齢にまで達していると、自分の話し方が確立されているのでその影響を受けないからでしょう。

Q.14 吃音を治そうという努力は無駄のように思うのですが。

A. おそらくあなたがそのようにお考えになるには、それなりの理由がおありと思います。今まで葛藤しつつ、散々努力してこられたことでしょう。また、他の吃音体験者の「吃音は治らない」という考えをどこかでお聞きになったのかもしれません。また、具体的にどのように改善していけば良いのか具体的手段を思い描けないのかもしれません。
いずれにせよ、吃音の受けとめ方はその人の人生観につながるように思います。ちょっと宗教的になりますが、「ニーバーの祈り」という有名な祈りの詩があります。

受け止め方を思案する男性

ニーバーの祈り
神よ、変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
ラインホールド・ニーバー (大木英夫 訳)

私はこの祈りの詩を、吃音真っ最中の20代初めに接しました。そして自分の吃音という精神的負担を考え、よくあてはめてみたものです。

神よ、吃音が治るものなら、
変えるだけの勇気を与えたまえ。
変えることのできないものなら、
吃音を受けいれる冷静さを与えたまえ。
そして、
吃音を変える(治す)ことができるのか、できないのか、
識別する知恵を与えたまえ。

まあ、こんな具合になります。
結果として、あれだけの強度な発語不安という爆弾をかかえての状態から、自分の吃音を認めつつも徐々に自信をつけていき、完全に吃音心理から脱却している今の自分がある事実をみますと、改善のプロセスがあると言わざるを得ません。

吃音(どもり)はいったい改善できるのか、できないのか・・・とあなたが思う時、短期間では一気にできなくても、ちょっとした意識の持ち方と体験の積み重ねにより、更に自由な自己表現に向けての肯定的姿勢が深められる中で、話し方が改善に向かうということを知っていただければと思います。

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