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吃音と対人恐怖、他

 

対人恐怖症と話すことの不安

人と話す時にひどくあがってしまう赤面恐怖、視線がひどく気になる正視恐怖などの対人恐怖症は、社会生活で障害となります。

対人恐怖の人は、もともと人と親しみ友好的な関係を持ちたいと願っているのですが、その反面、人が自分のことをどう思っているのか、軽蔑や無視されるのではないかという恐れ、警戒心が強くあります。

社員が社長室に呼ばれる時などは、誰でも緊張感・不安を感じるものであり、そのような感情を抱くことは普通のことです。
しかし対人恐怖を強く持つ人は「不安感、圧迫感を感じないでいつでも平気で人に接していけることが本来の姿だ」という基準を設けていることが多く、その結果、実際とのズレに苦しむことになります。自分の心にある「こうあるべき」という基準で、現実に浮き上がってくる感情を否定し押し殺していくことにより、過度なこだわり・囚われ意識が助長されていきます。

また、相手の視線を強く意識する正視恐怖についてですが、人と話すとき視線を全く意識しないという人は通常いないと思います。対面している時は、視線を一点に定めないで、顔を漠然と見たり、鼻や胸の辺り、デスクの書類などを漂うのが普通です。

欧米の方々と話をする時によく感じるのですが、彼らの視線のもっていきかたは日本人と違うように思います。人によって異なりますが、殆どの欧米人は相手の目を見て話します。

人と話すことは相手や場合によってはドキドキするものです。言いづらさを感じながら話している自分をOKとして、「まあ、そんなもんだ」と受けとめていくことは、自分を自由にします。



トラウマ(心の傷)と吃音

自分で作り上げた非現実的な「あるべき基準」で現実の自然な感情を否定することが、神経症の溝を深めてしまうのですが、幼少時の心の傷(トラウマ)は神経症に大きく影響を出すことは周知の通りです。

父親が威圧的で家庭内暴力を受けた女性は、他の男性の怒鳴り声に敏感におびえるでしょう。父親の記憶と重なるからです。ある女性の受講生ですが、幼少の頃、親から何か問われた時すぐに答えないと叱られたことが、人から何か問われる際にすぐに答えなければと焦りが反動的に浮き出て、吃音が出るようになってしまいました。

私は幼少の頃から無意識にどもっていましたが、自分の話し方で笑われたときから、「どもると笑われる。どもらないように話さなければいけない」と考えるようになり、自分の話し方と人の反応に大変神経質になっていきました。特に大人には対人恐怖を持っていました。

職場での電話対応で一度気後れ体験をすると受話器をとるのが恐怖となるのも同様です。




囚われ・こだわり意識を和らげるためのヒントとして・・・

ヒント



 

気持ちは楽にして、完全主義は捨てましょう

完全でありたいという思いは人としての欲望でもありますが、そもそも完全というものは観念であり、それを生活の中で要求したら切りがないし、現実にはあり得ないものです。
家の掃除にしても、どの程度に掃除したらよいのかの基準はまちまちです。毎日大掃除をするぐらいの覚悟でやるのか、ほぼ一部分を片づけて良しとするのかは自分で決めていくことですが、神経症傾向が強くなりますと、ちょっとしたゴミでもイライラの対象となってしまいます。

吃音で完全主義的傾向を持ちますと、言いにくいことばを言い換えている自分が許せない、人前で話す時、緊張感があってはならない、心に余裕がなければならないというような自分の「あるべき基準」を尺度としてしまいます。当然自分の話し方にますますこだわり意識が入ってきます。

「~でなければならない」「~であるべき」と思うことが多いなら完全主義的傾向、規範型といえますので、必要に応じて「~にこしたことはない」に意識変換して、話し方に神経質にならないことをお勧めします。



心の鎧(よろい)を外しましょう

相手に自分の弱さを知られてはならない、話し方で相手に劣っていると思われてはならないという自己防衛心が強くなると人と話す時どこかに力みが入り、自然な態度がもてなくなります。身近な親しい人と話す時、職場で初対面の人と話す時とでは話し方も異なるでしょうが、過度な自己防衛の鎧は外して、適切に自分を表現できる心の余裕を持ちたいものです。