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吃音克服 体験談(50歳以上)(P.5) 確実に発語できる確信、目標は吃音の克服、他


 吃音(どもり)を克服するということはどのような意味なのでしょうか?辞書で“克服”の意味を調べますと・・・「【克服】努力して困難にうちかつこと。『障害を克服する』」とあります。

事実、程度の差こそあれ、吃音は社会生活で障害となります。何とか努力して、吃音という困難にうち勝って“克服”したいと願います。そう願っている方のために、吃音の克服の具体的なステップをご紹介いたします。

吃音の克服へのステップ(1)
吃音意識を否定しない。発語不安があってもOKとしていく。吃音意識をなくそうとすることは無意味です。更に意識を深めてしまします。感情は正直ですから、そのまま受け入れましょう。

吃音の克服へのステップ(2)
安定した発語感覚をレッスンで身につけていく。自分では何が安定した発語感覚なのかわからないと思います。
レッスンでその感覚を育ててください。

吃音の克服へのステップ(3)
レッスンでの発語感覚を自分の話し方なりに刷り込んでいく。

吃音の克服へのステップ(4)
日常会話で調節感覚を実践し、維持していく。

確実にコントロールして話せる自信がついて、実践し続けているなら、その方は“吃音を克服している”と言えるでしょう。



「目標は吃音の克服。」
Kさん(東京都在住 54歳 自営業 男性)
「自分なりにどもらない方法を整理しました。」
Aさん(愛媛県在住 55歳 公務員 男性)
「確実に発語できるという実感が吃音の克服だと思います。」
Mさん(広島県在住 51歳 公務員 男性)
「毎回のレッスンの終了後はさわやかな気持ちになります。」
Uさん(神奈川県在住 51歳 会社員 男性)



(吃音の克服に向けて 体験談①)

 目標は吃音の克服。

Kさん(東京都在住 54歳 自営業 男性)

私は毎日車の運転をしている。
狭い道では周りに気を配り、徐行や一時停止をして、歩行者に注意して事故の起きないように走っている。

しかし、話をすることは車の運転とは違い、どもることを気にして意識しながら話すとうまくいかない。
どもらないように構えると、余計うまくいかない。
車なら安全運転に気を配れば良いのに・・・話をする時はなかなか安全運転のようにならない。

大学を卒業した頃は、「声をやや低く・穏やかに・ゆったりと」を心がけて話すようにと思っていた。
けれど、そう心がけていてもあれから三十余年、未だに吃音に悩まされ何とか克服したいと思い続けている。

レッスンで江田さんから「急(せ)いて話そう、話そうとしない事」と言われて目が覚めたような感じがした。
今まではどうしたらどもらないで話せるかということばかり考えていた。
結果として早口になり、話すと疲れが残るようになった。

「伸ばすとことばが安定する」ということをことも江田さんから指導を受け、やってみてそのとおりだと思っている。単純なことだが、今まではこんな感覚とは全く無縁だった。

レッスンを始めて1年8ヶ月。いろいろ発見がある。目標は吃音の克服。今後もレッスンで得たことを実践していくつもりだ。

※ ひ と こ と :
「どもらないように話すにはどうしたらよいか・・・」と考えるとますますうまくいかなくなります。
多少ひっかかってもOKとする心の幅をもたせて、「こんな風に話すといい具合だな・・・」と安定感を時折確認していく習慣を育てていくと、うまくいくものです。




(吃音の克服に向けて 体験談②)

 自分なりにどもらない方法を整理しました。

Aさん(愛媛県在住 55歳 公務員 男性)

ことばが詰まることを意識し始めたのは、小学校の高学年になった頃からで、もともとおとなしく、人見知りのする性格の影響もあったのかもしれません。ただ、6年生のとき、当時の担任の先生から話し方の矯正教室のようなものを紹介され、しばらく通ううち、その教室が合っていたのか、一時期、ある程度自信をもって人前でしゃべったり、授業で発表できるようになり喜んでおりました。
ところが、中学生になって思春期を迎える頃になると、言葉が再びつまり気味になり、人前で朗読したり、自己紹介や発表をするのが非常に苦痛になってきました。

その後、高校・大学・社会人と吃音意識を持ちつつそれなりになんとか過ごしておりましたが、50歳代半ばを迎え、人前で話をする機会がふえてきました。しかし結婚式などで大勢の前で話をすると、すごく緊張してまともに話ができなくなったり、電話で自分の名前を言うことがつまり気味となり、このままではいけないと思うようになり、大阪まで行って、吃音矯正のために話し方教室を受講したりもしました。
ただ、その講座も2日コースといった一時的なものであり、もう少し普段から継続的に受講できるものはないかと探していたところ、「さわやかカウンセリング」のHPをインターネットで見つけ申し込むことにしました。

レッスンを受け始めて7ヶ月ほどが経ちます。まだ、江田先生の言われる「安定した発語感覚」を取得したとは言えませんが、先生から様々なアドバイスを受ける中で、自分なりに整理しましたので、ここで紹介させていただきます。

  1. 腹式呼吸について。
    後で振り返ってみると、緊張した状態での話し方では、肩で呼吸をしていて言葉も途切れがちになっていることに気づきます。レッスンなどでやってみて、朗読するときは、腹式呼吸は特に有効な気がします。
  2. 肩の力を抜いてリラックスすること。
    結婚式など、大勢の人の前で話をするとき、肩に力が入り、体が堅くなってよけいに緊張して話ができなくなっている状況を感じることがあります。4月から毎週スポーツクラブにも通い、もともと柔軟性に欠ける体をストレッチ体操などを行い柔らかくするよう心がけることにより、メタボ対策に役立つし、話をする上でもよい影響が出るものと思っております。
  3. ゆっくりと伸ばすような感覚で、安定した発語感覚を身につけること。
    ホームページでは、息継ぎ、伸ばす、つなげることが紹介されていますが、先生から自分で調整しながら話す感覚を身につけることが大切とアドバイスをいただいておりますので、頭で理解するだけでなく、ゆっくり話すことを心がけることから、自分にあった話し方の調整方法を身につけたいと思います。
  4. 話す機会を大切にすること。
    50歳も半ばの歳になると、大勢の人の前で話す機会が増えてきますが、話をする前に、できるだけ原稿を作成するなりして事前に準備をしておくと、少しは安心してしゃべることができると思います。  大勢の人の前で話をすることから逃げずに、普段の訓練の機会ととらえ、むしろ積極的に機会を活用したいと考えています。

終わりに、安定した発語感覚で、大勢の人の前でもあがらずに話すことはそう簡単ではありませんが、前向きに取組んでいけば克服に向かっていくのではと思いつつ、積極的に話す機会をつくっていきたいと考えています。
電話も時々、意識しすぎて自分の氏名がすんなり出てこなかつたり、大勢の人の前で話すときも単に話すことに汲々(きゅうきゅう)としていてるのが現状ですが、笑顔で余裕をもって話すことを目指して、とにかくこれからも前向きに取り組んでいきたいと思っています。

※江田よりのコメント:
さわやかカウンセリングは、受講生の良き話し方の習慣作りのお手伝いをさせていただくという観点から、受講生の主体性を重視しています。Aさんがご自分で良き話し方感覚を工夫している姿勢を応援しています。




(吃音の克服に向けて 体験談③)

 確実に発語できるという実感が吃音の克服だと思います。

Mさん(広島県在住 51歳 公務員 男性)

私がどうして吃音になったかのかはわかりません。小学校の低学年位から最初の言葉が出にくかった記憶があります。学級委員長として授業の始めと終わりの号令をかける時にどもり、そして、学芸会の発表で大勢の人の前で決定的にどもってしまい、小学校高学年くらいではっきりとどもることを常に意識するようになりました。

吃音があるため、中学、高校と進んでも学校生活は楽しいものではありませんでした。大学は、あまり話をしなくても良いような仕事にということで、工学部の化学系にしました。また、東京には有名な矯正所があるということで大学は東京にしました。

私のいった大学には学生相談室があり、そこに吃音の相談に行きました。そこで心理学の先生から4年間カウンセリングを受けました。そして、矯正所にも6ヶ月位通いました。

その当時、いくぶん治ったものの、大学を卒業して地元の市役所に就職してからも話すことには大分苦労しました。電話が上手に出来ない、大勢の前で説明・発表が出来ないということで、話すことから逃げてばかりいたように思います。

45歳の時に昇進して係長になりました。これから話さなければならない機会が増えると思うと、重圧とストレスで眠れない日々が続きました。昇進して1ヶ月で鬱病になりました。私の人生で一番苦しい時期でした。2ヶ月の入院ののち仕事に復帰しましたが、将来に対する不安が消えませんでした。

現在の私はあまりどもっていません。外からみたら私が吃音だとは誰も気がつかないでしょう。私の吃音が好転した契機は4つあります。

一つは学生相談室で受けた「自律訓練法」というリラクゼーション法をマスターしたこと。
二つ目は学生時代に受けた民間の矯正所の方法で幾分改善したこと。
三つ目は鬱病から復帰後、上司に勧められ「話し方教室」に3年間通って場慣れしてきたこと。
四つ目が江田先生のレッスンを受けて確実に発語出来るという確信を得たこと。

「確実に発語出来るという確信」・・・これが私の求めていたものでした。吃音の克服とも言えます。確かに発語不安にかられた時、江田先生の指導の方法でどもらず言えた、この成功体験は私の大きな自信になりました。今の私には、これからまだ話すことに関して上達するのではないかという予感さえあります。

これからは、多少どもってもいいから、人を感動させたり、元気にさせたりするようなそんな話が出来るよう自分なりに吃音を克服していきたいと思っています。

 

※ ひ と こ と:
Mさんの長きに渡る改善のプロセスを興味をもって聞かせていただいています。レッスンを通して、どんな場面でも「確実に発語出来る」という自信への確かな足がかりを得ておらることは、私にとりましても大きな励ましです




(吃音の克服に向けて 体験談④)

 毎回のレッスンの終了後はさわやかな気持ちになります。

Uさん(神奈川県在住 51歳 会社員 男性)

言葉の大切さは今更言うに及びません。このような高度な言語機能は長い年月、遺伝子を受け継ぎ発達しながら今日まで連綿と続いてきたものと思います。せっかくの偉大な財産を十分に使いこなせない吃音者は本当に損をするはめになります。この辛さは説明の必要はありませんよね!吃音を治すために正常者との違いを見つけようと思っても見つかりません。

それはその筈、細胞まで含めたどんな精密検査をしても全く正常者と同じであるためです。そこで、違いは精神的なこととなります。人間は生まれた後、覚えるものは頭脳に記憶しながらの学習効果だと思います。成功したことは喜びとして伸びていく、その反対のことは苦手なこととして記憶に残り、成長どころか停滞と苦痛の相互作用の関係になっていくように思えます。

しかし成功にも失敗にも必ず原因がある筈です。そう考えて、私は自分なりに吃音の原因をいくつか仮定し、「この世で起こったことは必ずこの世で解決出来るものである」と信じて取組んでいます。

その一つとして、レッスンでもよくご指摘いただいたことでもありますが、言葉を延ばすことに取組んでいます。お経は言葉を延ばしながら唱えます。これは人の耳によく入るようにとのことかもしれません。「般若心教」を自己流ですが声を延ばすことに留意して唱えています。今では原文を暗記してしまいました。

その他に、主に今の50代以上の人々に勇気を与えてくれた小説として、司馬遼太郎作の「坂の上の雲」があります。その主人公である秋山真之が作文した「連合艦隊解散の辞」を東郷平八郎司令長官がゆっくりと穏やかに奉読した調子を真似て、ゆっくり語尾を延ばすことを心がけて読んでいます。これも暗記してしまいました。成果はそのうち出れば儲け物との感覚でほぼ毎日行っています。

江田さんとのレッスンでお誉めの言葉をいただいた時は、成果の一部が出たかなと思い嬉しくなります。吃音を見事克服しておられる江田さんのアドバイスを直に受けながらの毎回のレッスンの終了後はさわやかな気持ちとなります。続けていれば自分も克服できるかもしれないと希望を湧かせてくれるものです。本当に感謝しています。

※ ひ と こ と :
Uさんとのレッスンでは一度もことばが詰まったりすることがなく、講談師のごとく立て板に水の如くすらすら話します。
Uさんにお勧めしていることは、次の二つです。
(1)自分を見失って早口ペースにならないこと。
(2)過去の経験から浮き出てくる発語不安にこだわることなく、自分で納得のいく話し方習慣を維持していくこと。
これがUさんの願う吃音克服の道です。



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