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吃音(どもり)心理あれこれ(1)

 なぜ歌を歌う時はどもらないのでしょうか。



         歌う

よく耳にする質問ですが、歌っている時にことばがつかえて歌えなくなってしまったということは聞いたことがありません。吃音が重かったかつての私も「歌が歌えるのだから、話をするときも歌うように話せば・・・」と勧められたものです。なぜ歌を歌う時は吃音が出ないのか?

  1. 歌は音の切れ目がない 「春のうららの隅田川、のぼりくだりの・・・」と詩を読むのと、「はぁるぅのぉーうらぁらぁのぉーすぅみぃだぁがぁわぁ~・・・」と歌う場合の違いの一つは、歌は音の切れ目がありません。音をつなげて発声するのみです。またスタッカート(短く区切る)を入れたとしても、テンポを意識していますので息の出し方は一定に保たれます。
  2. 歌はテンポの枠組みがある

実際に歌えばお分かりの通り、「のぼり」の前で息を入れますが、「の」の発語不安が起こる余地がありません。それはテンポ(拍子)の中で息を入れ「の」の発語に備えるので、吃音者特有の発語直前に不自然に息を吸ってしまうことがなく、息継ぎが乱れないからです。吃音を出して話す場合は、音(おん)はバラバラの単体感覚ですが、歌では音ひとつひとつがバラバラではなく、音という個々のじゅず玉がテンポという糸でつながっている状態です。

  1. 話す場合は相手への伝達が目的であるのに、歌はそうではない

歌う時は聞き手にことばの意味が伝わっているかどうか気にすることがなく、気持が楽です。

私が中学生の時、歌のテストがあってクラス全員の前でひとりづつ歌わなければならない時がありました。当時、吃音のため朗読が全くできませんでしたので、「クラスの前では歌は歌えない。きっとどもる。」と決め込んでいました。しかし順番が回ってきたらそのまま歌えたので、自分でも不思議に思ったものです。

話すことと歌うことの中間に、浪曲(浪花節)、お経、ラップミュージックなどが位置付けられます。

お経では吃音は出ません。一定のテンポ(木魚がその役目を果たしています)に乗せて、切れ目なくことばを流すからです。

ラップミュージックは一定のテンポの中に言葉をどんどん乗せて早口に語ります。
国会前での抗議デモでSEALD’sが自分たちの意見をラップに乗せていましたが、あのようにテンポの枠内での息の流れからして歌と同様、吃音の出るスキがないのです。

このリズム感覚は英会話の演習に取り入れられていますし、息の切れ目を作らないので、良い練習材料ともいえます。

吃音をもっていた故田中角栄元首相は、吃音改善のために浪花節(なにわぶし)を練習し、自分の話し方に同化させたことは周知のとおりです。彼の演説は浪花節調で、聴衆をぐいぐい引き込む力がありました。

浪曲、お経、ラップの語りをそのまま会話で全面に出して話すと奇妙で実用的ではありませんが、内面の発語感覚に採り入れていけばことばの流れが良くなると思います。朗読でも良い効果を出します。


 ひとり言を言う時や、複数で朗読する時はなぜともらないことが多いのか。

これも私が学校で朗読できなかった時、先生が「みんなで読もう」とクラスの生徒に呼びかけました。先生は私の横に立って私の朗読を聞き、「江田、読めるじゃないか。何で一人じゃ読めないんだ?」と私に尋ねましたが、皆と読んでいる限り、全くスラスラでした。その理由は

  1. 一人で読む場合は、他の生徒が私の読み方を「聞いている」ので、聞かれている私は発語不安が引き出されてしまう。そのため横隔膜がせり上がり、発語が止まってしまう。
  2. 複数で読む場合は、たとえひっかかったとしても他者は気がつかないし、朗読のペースは自分の引っかかりと関係なく自動的に進んでくれる。⇒ 緊張がほぐれ安心感がでる ⇒ 結果として、どもらない。

吃音にすすませる要因は他者の反応です。他者の反応に読み手(話し手)は影響され、怖れが生じます。
仮にもし、どんなにゆっくり話しても、どんなアクセントで話しても、どんな間延びした話し方でも、どんな幼稚でその場にふさわしくない話し方でも、他者がなんとも思わない世界に住んでいたら、吃音は出にくくなります。

独りの朗読でもどもる場合は、どもる身体的発声習慣がそのまま身についてしまっている(舌,喉などの力みと特定の音の発音の発語神経回路が出来上がってしまっている)ことと、自分の話し方をチェックする意識の両方が作用しているのではないかと思います。


 一度「良くなった」と思われた後の話し方の乱れを防ぐために。

改善の最終段階では、日常生活で殆どことばがひっかからない。たとえことばがひっかかったとしても自分でコントロール出来、また発語予期不安があっても自分の納得している方法でほぼ安定して話すことができる状態です。この段階から、更に人前での発表・スピーチ電話応対などの様々な場を踏みながら調節習慣を定着させていきます。
話し方の乱れの引き金となる理由を挙げますと、

  1. 環境の変化によるストレス
    学校が変ること、会社での人事異動、仕事量の増大、家庭問題など、ストレスがたまってくると発語にも影響が出るようです。適度のストレスのある忙しさのもとで、気がついたら吃音にとらわれなくなっていたというような良い方向に向かっていけば良いのですが、過度のストレスは避けたいものです。

    ストレスを軽くするための工夫として、水泳、ジョギングなどの習慣的にできる運動、栄養バランスのとれた食事、そして十分な睡眠などが挙げられます。

  2. 心がけの違い
    • 話し方に無頓着になってしまう場合:日常話をすることに殆ど不自由を感じないので、特に話し方に注意することなく、具体的な練習もしない。ある程度自信をつけていくが、セルフ・コントロールしていく意識が薄くなり、いつの間にか古い習慣に戻ってしまい、逆戻りする。
    • 神経質になり不安を増大させてしまう場合:上手く言わなくてはいけないという意識が強くて、話している時でも「上手く言えているかな?」という探りを入れることが多くなると益々神経質になってしまいます。少々の引っかかりはOKとする心の余裕が大切です。
  3. 最終段階でとらわれ意識から脱却していく人
    日常会話に差し障りはなく、吃音の意識は殆どないが、人前でのスピーチなどに備え、正しい呼吸、姿勢のチェック、イメージトレーニングなどを日常習慣的に行っている人ではないでしょうか。

私の経験では、この最終段階は比較的長くかかりました。理由は発語予期不安が多少残っているものの、仕事や日常生活で殆ど不自由を感じなかったことと、周囲の人々も気が付かない程でしたので、改善する意識を特にもたずそのままにしておいたからだったと思います。
しかし大勢の人々を前にしての司会など、レベルの上がった必要に迫られましたので更なる改善のために、不安定な話し方をしないことを心掛けるようにしました。その結果として自分なりの調節感覚が育まれたのだと思います。

このように環境と心掛け次第で吃音から脱却していくこともできますし、ある程度の話し方で良いと思えばそのレベルにとどまるのではないでしょうか。日常の何気ない会話で、自分の納得のいく安定した自然な話し方を意識し続けることをおすすめいたします。


 随伴行動とジェスチャー


ジェスチャー


発語がブロックされた時、トンと足で床を蹴ったり、ギュッとこぶしを握ったり、手を振ったりする動作を吃音の随伴行動といいます。私も20代以降は自粛するようにしましたが、10代の頃はそうせざるを得ない心境でした。別に好きでやるわけではないのですが、ブロック状態を打破するために焦って瞬間的に行動に出てしまいます。これは無意識ではなく意図的に行うものです。その行動に移る瞬間に発語するスキがでる訳ですが、常習的になってしまうと無意識に行う部分が大きくなるので、ことばを出すという効果は薄らいできます。随伴行動に頼らないに越したことはありません。

しかし、体を全く動かさないようにするのが良いということではありません。人前で直立不動の姿勢で話をしようとすると、精神的にも負担がかかり、ことばも硬くなりがちです。欧米の方々の優れたスピーチを見ますと、皆さん効果的にジェスチャーを使っています。英語はアクセントが日本語より格段にはっきりしているので必然的に体を動かすということもあるのでしょうが、適切なジェスチャーは視覚からも多くを語りかけます。顔の表情、視線、姿勢、手の動き・・・・自然な体の動きはことばを滑らかにし、聞く人に好印象を与えます。体の動きを上手に使っていきたいものです。


 なぜゆっくり話すことはむずかしいのか。

吃音者の中に早口で話される方がおられます。単語やフレーズのまとまりをパラッパラッと速く話すのですが、その割にはフレーズとフレーズの間隔があくので、聞き手にとっては聞きにくくなります。聴き取りにくい ⇒ 相手から聞きなおされる ⇒ もう一度早口で話す・・・ということで結局意志の疎通に時間がかかってしまうことがあります。

早口になる理由は、発語不安があるので聞き手への意志の伝達を早く済ませたい、自分の話し方に相手が関心を持つ時間をできるだけ短くしたいとの意識から生じるのだと思います。ここにゆっくり話すことの難しさがあるようです。

考えることに集中しながら話すということは吃音者にとって馴染みの薄い世界ではないでしょうか。政治家の話し方を例にしますと、小泉元首相の話し方はテンポが速く歯切れがいいです。その正反対ともいえるのは、故大平首相でしょう。ご記憶の方も多いと思いますが、会見では「あのー、ウー、その件につきましては・・・アー、エー」という調子でした。考え考え慎重にことばを選ぶのであのような話し方になったのでしょう。しかし、彼のとつとつとした話し方は、聞き手にマイナスイメージを与えたわけではなく、その中に誠実さを感じたのは私だけではなかったと思います。

余裕をもって考えをまとめながら緩やかに話すことが出来るようになれば、話す自信は深まります。

    ※下のフッターの 「診断チェック」吃音心理(2)~(4)で、更に多くをお読みいただけます。