カウンセリング&レッスン 体験談(40~49歳)(P.8) 言葉が詰まる恐怖からの解放、他
言葉が詰まる恐怖からの解放感。
Mさん(神奈川県在住 41歳 団体職員 男性)
今でも覚えている・・・。小学校2年の時に劇をやることなり、自分のセリフが「あ、土が見えた」の一言だったが、その「土」という言葉がつまり、引っかかるようになってしまった。それがどもることとなった始まりだと思う・・・。
小さかったせいか、その頃はあまりどもるということに意識はしていなかったが、学年が上がるにつれて言葉が詰まることを少しずつ意識するようになってしまった。
中学校に入ると思春期ということもあり、今まで以上にまわりの目を気になりだして、なぜ自分だけが普通に話すことができないのか、どうすれば話せるのか、病院とかで治療すれば治るのかなど毎日悩んでいた。
結局どうしたらいいのかわからないまま時間だけは過ぎていった。その間に緊張すると全く話せないという状況となり、授業中に「誰かに読んでもらおうか」と言われただけでも緊張状態になってしまい、とても辛かった。
高校に入学後、吃音に関する本を見つけ、自立訓練法を知った。しかし以前と比べれば普段は少し話せるようになっても,人前ではあまり以前と変わることはなかった。言葉が詰まりすぐ緊張してしまうという状態は治らず、そうなってはどうにも言葉がつまってしまった。
就職すると病院で受付に配属され、大勢の人前で呼び出しをさせられた。極度の緊張で名前を呼ぼうとしても言葉は一向に出ず、顔は真っ赤になり、逃げ出そうと思ったことは数知れなかった。
その頃なんとかしなければと思い,東京の吃音治療院に通うことにした。そこでは自己催眠や言葉を伸ばすこと、ゆっくりはっきりと話すことなど教わったが、なかなか上手くいかなかった。結局あまり改善することなく、その後はなんとか自分なりのやり方でごまかしながら話をしてきた。
しかし年齢とともに大勢の前で話をする機会が多くなり,普段はどうにか話せても人前に立つと息ができなくなり言葉が詰まり出にくくなってしまう。
そんな時にさわやかカウンセリングを知り,回数を重ねるにつれて手応えを感じ、話すことの恐怖から開放されていく感じがしている。まだ言葉がつまることがたまにあるが、そんな時、腹式呼吸をすることによって、言葉が出たときはとても嬉しい。
普段意識していないと以前の話し方に戻ってしまうので、レッスンで教わった話し方をできるだけ意識しながら、コントロールの幅を広げていきたい。
※ ひ と こ と :
年齢とともに大勢の前で話をする機会が多くなるものですが、日常会話では支障なくても、いざ人前に立つと別の発語感覚に入ってしまうことはMさんに限ったことではありません。
必要は発明の母と言われますが、「(人前で話す)必要は(スピーチ)改善の母」でもあります。人前で話すことは緊張を伴いますが、これからも場を重ねてスピーチの達人を目指していだきたいです。
いつでも自分の話し方をコントロールできるようになりたいと思います。
Sさん(愛知県在住 42歳 会社員 女性)
言葉ばがつまることを意識しだしたのは、小学2,3年生ごろだったと思います。父も吃音があり、親戚にもどもる人がいたので、自分もあんな風になったらいやだなーと意識していたからでしょうか・・・私にはわかりません。。
今となっては、なぜ言葉がつまるようになってしまったか、その原因はわかりませんが、それ以来、吃音の人が経験するありとあらゆることを経験してきました。国語の時間に朗読が出来ない、自分の名前が言えない、答えがわかっているのに答えられない、駅で行き先が言えない、卒業式で答辞や、送辞が言えない、・・・・・など、悔しい思いをたくさんしてきました。
中学、高校と進学するにつれ、悩みは一層深くなり、高校の何年生だったかは忘れましたが、何かの雑誌で知った、東京にある吃音矯正所の先生の著書を購入し、そこに書いてあったことを実践しました。それが効果があったのか、だいぶ改善されていきました。それでも完全に治ったわけではありません。緊張する場面や、何かの拍子にことばが出てこなくなります。
今でも一番辛く思い出されるのが、就職したばかりのことです。同じ営業所に私を含め、新入社員が十数人配属されました。その十数人が、各職場を回り、挨拶をしなければなりませんでした。
全員が一列に並び、はしから順番に「○○課に配属された、△△です」と言わなければならないのですが、私の番が回ってくると必ず言えないのです。数箇所回るので、初めの1,2箇所であれば緊張しているのだなということで済んだのかも知れませんが、全ての部署でそれですから、変な人・・・・・と思われたのは確実です。
就職してからも電話などで苦労しましたが、結婚し、その後今の家に引っ越しました。職場が遠くなって退職するまでの17年間そこに勤めました。
それから数年間、専業主婦だった間に、ある資格を取り、その資格を生かすため、昨年ある事務所に就職したのですが、その事務所の名前が私にとって、言いにくい名前だったのです。
また、あの辛い苦しい思いをしなければいけないのかと思い、ネットで検索してみたところ、さわやかカウンセリングのホームページと出会いました。
先生は、よくレッスンの中で、家族やごく親しい人と普段リラックスして話している時に、100%納得のできる話し方を意識して、自分でコントロールできることが大切だとおっしゃいます。
最近は、事務所の名前も言えるようになり、だいぶ自分でコントロールできるようになったかな、と実感してきています。
どんな場面に遭遇しても、いつでも、自分の話し方をコントロールできるようになりたいと思います。
※江田よりのコメント:
レッスンでは安定した自然で柔らかな話し方をなさるSさんです。
発語予期不安はあってはならないものと思うのではなく、それはそのままにしておいて、日常の良き話し方習慣と実践を通して、どんな場面でも自分の話し方をコントロールできるようになることを目標としてください。
最近は生きている気がします。
Sさん(佐賀県在住 40歳 会社員 男性)
私は吃音歴32年の40歳です。8歳の頃から言葉がつまる吃音の症状が出ました。
今まですべての事をネガティブに考え、なるべく人と話をしないで済む生活をと考えてきました。
どもらない社名で仕事を選ぶようにしたり、好きな人ができても、相手の名前がどもるようだと諦めたり・・・。
27歳の頃には、通販で吃音改善のテキストや治具を20万円の一括払いで購入しましたが、後から考えるとアドバイスも何もなく、なんでこんな物を購入したのかと後悔し、さらにマイナス思考になっていったものです。
しかし、年をとるにつれて逃げている訳にはいかなくなってくるものです。
パソコンで何回か検索した時に江田さんのカウンセリングを知り、一回ごとの電話のレッスンが手ごろな料金で受けられるので申し込み、現在10ヶ月ぐらいになります。
実際に上手くいく時、いかない時とありますが、できるだけレッスンでの話し方を実践していく事が必要だと思っています。
私の場合、全体にどもるのではなく、タ行などの破裂音といわれる音が言葉の始めにくるとつまるのです。
私がどもるということは周囲の人々には気づかれない程度で、人に知られたくないというこだわりが長らくありましたが、この意識を乗り越えつつあると思います。
これまでどもることで苦しんで死んでいたような年数からすると、最近は生きている気がしています。
※ ひ と こ と:
Tさんの名前は「タ」で始まります。長い間無理に「タ」の発音をしていたので、歪められた「タ」しか言えなくなってしまいました。けれど、この10ヶ月間、持ち前の忍耐力でコツコツ良き実践を重ね、今では柔らかな「タ」が言えるようになってきました。良い実践の結実です。
心がとても爽(さわ)やかなのです。
Kさん(岩手県在住 48歳 主婦)
最近の出来事です。日頃お付き合いしている友人からの電話がありました。
友人 : 「今度の集会で進行役を引き受けていただきたいのですが・・・」
私 : 「エッ? ・ ・ ・」
私の心の中 : 「ドキン!ドキン!何と言って断ろう。私には絶対できるはずがないじゃないの!」
私は今までこのようなやり取りでは、まず最初に断ることを考えてきました。私はどもる意識がなかった記憶がありません。自由にのびのびと話していた記憶がないのです。幼児期から吃音をしっかり踏んできてしまいました。
学校に入り、小学校・中学校・高校・専門学校、そして職場と、そのいずれでも、いつ言葉がつまるのかと不安と恐怖の連続でした。家では言いにくい発音の言葉は言わないようにしていましたので、親、姉妹は私が吃音で悩んでいることはほとんど知らなかったようです。自分に選択権があるときはそれでも良いのですが、学校での自己紹介、音読などで言葉を変えることが出来ない時など、「何で私なのか」と恨む思いでした。
時を経るうちに自分で工夫しながら話し、次第につかえずに話せるようになっていましたが、「言葉がつまって言おうとすればするほど口がゆがむ自分の姿を知られたら終わりだ」という恐怖は通奏低音のように響き、虚無感のただよう日々を送ってきました。
実際には治ったわけではなく、言葉が出てこないことはよくありましたし、言いにくい言葉を避けていたので目立たなかったというだけでした。
中学校に入る前に一度ことばの教室に通いましたが、その後は専門的カウンセリングを受けたことはありません。打ちのめられたような卑屈な思いを引きずり、一歩を踏み出す勇気さえなく、自ら求める気持もなかったと思います。
何処かに改善の方法があるのではないか、吃音を理由にして否定的な人生を送りたくない。今年に入りネットを開いて「さわやかカウンセリング」と出会い、今までになかった希望を感じる世界に踏み込むことが出来たのです。
江田先生に「私はずっとどもることの恐怖を抱えています」と話しましたら、先生は「そのトラウマを無理に消そうとしないでください。しかし、発語不安を持ちながらも話し方をコントロールすることは出来ますよ。」と話されたのです。
少しつまずくと、それまで積み上げた全部を否定してしまう傾向のある私には、本当に心から納得できる言葉でした。そして「お金を出してでも場を踏み、経験を重ねていってください」と言われたのです。お金を出してでも逃げたい私にとって、進んで皆さんの前で話すことなど信じがたい思いでした。しかし、お金を出さなくても、事態はやってくるようになりました。
始めの話に戻りますが、進行など出来るはずがないと思っていたので、二三日寝込んでしまいました。立ち上がろうとしても足が重く、ため息ばかりです。しかし、汗を流し七転八倒しながらも引き受け、集いを終えることができたのです。皆様のお名前などは、言えないからといって変えることはできません。大きな声で何度も練習をしました。言いにくい言葉が言える感覚を体感することは本当に嬉しい思いでした。
挑戦してみると自分の姿を振り返る余裕も少し出てきて、今度は会場と響きあえるようになれたならいいなどと願っていることが本当に不思議です。言うことだけで精一杯(言えたからこそ思えるのでしょうが)、人と関わることが苦手・・・でも、そんな姿を初めて受けとめられる気がして、心がとてもさわやかなのです。人々と心から響き合えるとの希望の光をいただいています。
※ ひ と こ と :
Kさんは日常会話でことばがつまることは殆どありません。でも「自由にのびのびと話していた記憶がない」と言うほど、心にはいつも発語の恐れの影がありました。
しかし、聡明なKさんは話すことについて、今さまざまな気づきを得ておられます。
(1)発語不安感情を否定して無理に押し込めるのではなく、浮き出るままにそのままにしておいて良いこと。
(2) 不安で震える中でも、確実に話せる世界があるということ。
(3) 上手く言えなかったからといって、今までのすべてを否定することは無意味なこと。
(4) 話が下手という思いは、幼少にさかのぼる感情体験を引きずっている影のようなものであること。
今回は100名以上の方々の前で立派に司会・進行役をなさいました。これからも経験を重ねてください。
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