どもり・吃音についてのご質問
Q. 江田さん個人の吃音体験を聞かせてください。
A. 吃音者であれば経験するであろうあらゆることを経験しました。その中でも感受性の強い思春期の記憶は多く残っています。
小学生の時でしたが、国鉄の飯田橋駅(東京都)までの切符を買いたかったのですが、当時は誰でも切符売り場の窓口で「いいだばし」と言って買わなければなりません。自分の順番がやっと回ってきても、胸がドキドキして始めの「い」が出てこない。(難発性吃音)とぼけてまた後ろに回って順番を待つのですが、またことばが出てこない。何度もやるけどやっぱりダメ。とうとうあきらめてトボトボ歩いて家に着いたときはとっぷり日も暮れていました。親からは何でこんなに遅く帰ってきたのかと注意されましたが、理由を言うのもイヤだからただ黙っているだけ。自分がつくづく情けなくなりました。
将来の職業はバスの運転手になろうと決めたのもこの頃です。人と話さないで済むからと思ったからです。けれどしばらくしてワンマンバスが走り始めて、運転手がマイクをもって「次は神楽坂」なんてやり始めたので、これは僕にはできないダメだとあきらめました。ベートーベンが晩年耳が不自由になり、筆談で会話をしたという話を聞いた時、自分も筆談で会話したいなと本気で考えたものです。
小学校の卒業式クラス全員が在校生にひと言ずつ何か言うのですが、先生が心配してくださり、私だけ何も言わないように配慮してくれました。言えない自分が惨めで、また言わなければならないとしたら地獄で、どちらに転じても自分を落ち込ませました。
中学・高校も吃音のストレスはかなり大きかったです。新学年に新しい教科書を手にした時、文字が刃物のように目に突き刺さってきました。どこを読まされるのか、そんなことをつい考えてしまったものです。いつ自分に朗読の順番が回ってくるのかが気になって授業そのものに集中できない。朗読の練習をいくら事前にやっても、実際の場では緊張して声が出ない。先生の質問に答えがわかっていても、ことばが出ないのでくどくどと説明される。これもやり切れない気持です。また「君の名前は」と聞かれるのが大の苦手。「江田(えだ)」の「え」の母音がでてこない。ある時は「佐藤です」なんて言い替えてしまって・・・、あとで「君は佐藤だろう」といわれ、今さら江田ですなんて言えないし・・・ホトホト自分が嫌になりました。上級生からは「ドモ吉」なんてあだ名されて・・・学校がイヤで苦しくて・・・朝の登校時にすでに早く夕方になってほしいななどとよく考えていました。
東京都内の吃音矯正所にも小学生の時、そして高校1年生の時と2回程ある期間通いました。そこに通う方々はみんな吃音者です。「ああ、ここではどもってもいいんだ。だれも変に思わないんだ」と思うので、ぜんぜんどもらない。「高いお金払っているのだからどもってくれよ」と内心思うのですが、朗読、会話練習スラスラ。このことからも吃音が外部の人の反応によって生じる条件反射の産物であることがわかります。
社会人になれば仕事での電話、上司への報告など正確さを求められますので「言い換え」ができない。「課長は2時30分にお帰りになります。」をいくら2時が言いにくいからといって勝手に3時に換えることはできません。人の何倍ものストレスを抱える日々でした。
キリスト教の集まりで司会をしたときのことですが、会衆の前での聖書朗読で、意識が入って途中で詰まってしまってどうにも先に進めなくなりました。前列に座っていた方が見るに見かねて私の代わりに横に立って読んでくださいました。いったい自分は何のために司会に立ったのか・・・と実に情けない思いになりました。
このような経験を延々お話すれば、このページがトイレットペーパー1巻き分の長さになります。読む方もウンザリでしょう。吃音を抱えたことにより、人生の中で問題と思われる事柄の受けとめ方の幅(選択肢)が持てるようになったことはプラスであったと思います。「吃音とうまくつきあっていこう」「吃音も私のパーソナリティーの一部だ」と受けとめていく肯定姿勢です。
そして一方、大勢の方々の前での司会、スピーチをさせていただき、現在このように吃音が消えていることは大変ありがたいと思っています。
吃音の度合いはお一人おひとり異なるでしょうが、現状がどうあれ改善の可能性がどなたにでも十分にあることを私自身の経験からも確信しておりますので、このような形でお手伝いをさせていただいています。
Q. 江田さんのスピーチレッスンは何を目指しているのですか。
A. 2つあります。ひとつは吃音と上手に付き合っていく適応力を高めること。もうひとつは良い話し方にもっていく意識の定着化です。
ことばが詰まる感覚との共生とでも言いましょうか。 治るか治らないかの白黒の世界ではなく、うまく付き合っていく適応力を育てることです。
吃音の受けとめ方はひとりひとり随分異なるようです。聞き手からはひどくどもっていると思われる人が平気でどもり、ご自分を主張しておられ、殆ど目立たないのに相当の神経を払っておられる方もいらっしゃいます。どもるという同じ事実があっても、それに悩む人とあまり悩まない人の受け止め方の幅があります。
他者とのコミュニケーションをしていく上で重大な差し障りがなく、本人の悩みが軽ければ事実上吃音を乗り越えておられるとも言えます。「こうあるべきだ」から「うまく話せるに越したことはない」程度に受けとめていく姿勢を培っていきたいものです。
もう一つは改善していこうとの意識を持ち、行動を習慣化することです。
安定した話し方の意識を持つことは何事においても健全な受けとめ方です。吃音の改善は坂道を登るというよりもスパイラル(らせん状)にぐるぐる回っていくようなものですので、スポーツの練習と同じ様に少しづつ毎日気長に続けることです。治すためという意識を捨てて、ただ習慣としてその時間を楽しんでいきましょう。正しい姿勢、呼吸法、発声法、発音法、朗読、ひとり言、イメージトレーニング etc・・・・レッスンの中でこれかなと思うものを意識してご自分でコツコツ生活に取り入れてください。
Q.江田さんはどのようにして吃音を克服していったのですか。誰かに指導を受けたのですか。
A. 私は小学4年生頃と高校1年生の時、東京にある吃音矯正所に通いました。そこでは腹式呼吸を中心とした発語練習をしました。一連のレッスンを通して、力まずに話をするイメージはつかむことはできたと思います。
でも、話すことの心理的圧迫感はそのまま残っていました。社会に出てからは業務で電話をすること、さらに人前でスピーチをすることなど、話をしなければならない場面が増えてきましたので、その都度、自分で試行錯誤を繰り返してきました。
ことばの詰まりが殆どなくなってから、更に人前でのスピーチや司会の専門トレーニングも受けました。
今は吃音(意識)はありませんので、ただ相手に聞きやすい話し方を心がけています。
Q. 江田さんは、過去の吃音意識が戻ってくることの不安はないのですか。
A. もし私が話し方に全く注意を払うことなく日頃雑な話し方を続け、ある時、急に改まった場で話をしなければならなくなったというようなことがあれば、ことばが詰まることがあるかも知れません。
私自身、雑に話しているとひっかかる傾向があると知っていますので、話し方には注意を払っています。 たとえことばが乱れたとしても、直ぐに正しい話し方へとコントロールすることができますので、吃音意識に囚われることはありません。
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